もはや「日常の一部」として受け流されている北朝鮮の核問題

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韓国を訪問中の国際原子力機関(IAEA)のラファエル・グロッシ事務局長が15日にソウルで開いた記者会見は、本来ならば国際社会をざわつかせてしかるべき内容だった。北朝鮮・寧辺のウラン濃縮施設に類似した新施設の建設を確認し、「濃縮能力は大幅に増大している可能性が高い」と明言したのである。核弾頭の「量産体制」がさらに加速している兆候にほかならない。

だが、この発言は驚くほど静かに受け流された。各国の主要メディアは淡々と事実を伝えたものの、政治の場で大きな波紋が広がる気配は乏しい。確かに中東情勢が緊迫し、国際政治の関心がそちらに向いているのは事実だ。しかし、それだけで説明するには、この「静けさ」はあまりに不自然だ。

むしろ漂うのは、長年積み重なった無力感、あるいは半ばの「あきらめ」ではないか。金正恩総書記が核兵器の増産をいくら誇示しても、それを本気で止めようとする政治的エネルギーはもはや見当たらない。制裁は既に出尽くし、対話は繰り返し頓挫した。残されたのは「現状追認」という名の惰性である。

日米韓の政治家にとっても、この問題は扱いにくい。解決策が見えず、有権者の関心も長続きしないテーマに、積極的に資源を投入する動機は乏しい。端的に言えば、「票にならない」のである。その結果、核問題は危機でありながら、優先順位の低い政策課題へと押しやられていく。

しかし現実は、政治の関心とは無関係に進行する。北朝鮮は一定規模のウラン資源を背景に、数百発規模の核弾頭を保有し得る潜在力を持つと指摘されている。もしその段階に達したとき、体制内部で不測の動揺が起きれば、管理されない核戦力という悪夢が現実味を帯びる。

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問題は、危機が「起きてから」では遅いという点だ。にもかかわらず、国際社会は危機が深刻化するほどに、逆説的にそれを日常の一部として受け入れつつある。核の影は確実に濃くなっているのに、議論だけが薄れていく。この静かな逆転現象こそ、いま最も警戒すべき兆候なのかもしれない。