北朝鮮版「ランボー」がたどった数奇な運命
北ベトナムには、当時反目していた中国とソ連の将兵が送られていた。さらに統一後のベトナムは、北朝鮮と対立するようになった。ベトナムの戦場で中国軍やソ連軍、北ベトナム軍と交流し、彼らの政治宣伝に接していた北朝鮮の将兵は、本国で「好ましからぬ存在」と見られたのではないだろうか。
実際、ベトナム戦争での北朝鮮の戦死者を弔ったのは北ベトナムであって、戦死者の遺体とその墓が北朝鮮に移送されたのは、戦争終結から四半世紀以上も経ってからだった。
中東にとどろいた名声
ベトナム戦争に参戦し、批判対象にもなった趙明禄がなぜ出世できたのか。それは、よく分からない。『先軍革命同志、国防委員会第一副委員長であった趙明禄』では、批判された趙明禄を救ったのが金正日であったとされている。それがどのような過程でのことだったかは分からないが、趙明禄はどうにか粛清を免れ、金正日の信任を得て出世していったということだ。
ベトナム戦争に参戦した北朝鮮の将兵たちが、その活躍ほどには本国で歓迎されなかったにしても、米軍と戦った空軍部隊の活躍は、対外的には北朝鮮の軍事力を宣伝する効果を持った。自由主義陣営ではそれほど認知されなかったかもしれないが、社会主義国家や中東のアラブ諸国など第三世界の一部エリートの間では、認知されていたようである。
そして、北朝鮮はベトナムで戦った将兵たちの名声を、その後の外交・軍事戦略で余すところなく活用するのである。(ベトナム編 おわり)※
次回は中東編です。
(宮本 悟 聖学院大学教授)
【連載:朝鮮人民軍 海外戦記】
中東編(1)
アラブ諸国に加勢しイスラエルと戦っていた北朝鮮空軍
